crtaker’s blog

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バーゼル規制の内部格付手法の信用リスク・アセット計算式

更新履歴

  • 2020/9/2: 相関係数 Rの根拠に関する参考文献を追加(thanks to はららんさん)、typo修正。

本記事のポイント

 前回記事では、与信ポートフォリオの信用リスク量の業界標準的な計算方法について説明した。本記事では、バーゼル規制の内部格付手法で指定されている信用リスク・アセットの計算式の意味について考えてみたい。本記事で注目するポイントは以下の3つである。

  • バーゼル規制の内部格付手法における信用リスク・アセットの計算式の意味
  • 信用リスク・アセットの計算式を導く際のある「重要な条件」とは…
  • 内部格付手法の設計において「重要な条件」が必要であった理由

内部格付手法と信用リスク・アセット

記号の定義

 本題に入る前に、記号を定義しておこう。本記事で使われるその他の記号については、前回記事を参照いただきたい。

  • \alpha_q(X)=\inf\{x|\mathrm{Pr}(X\leq x)\geq q\}: 確率変数 Xの(100q)パーセンタイル値。
  • L_N=\frac{1}{E}\sum_{i=1}^NE_iL_i\mathbf{1}_{Z_i\leq \Phi^{-1}(p_i)}(ただしE=\sum_{i=1}^NE_i): 与信ポートフォリオ全体の損失率を表す確率変数。

信用リスク・アセットの計算式

 金融庁告示[1]によれば、内部格付手法の採用行はマチュリティ *1 が1の場合の事業法人等向けエクスポージャーiの信用リスク・アセットの額 \mathrm{RA}_iは以下の式で計算しなければならない *2

 \displaystyle{
\begin{aligned}
 \mathrm{RA}_i &= E_iL_i\left[\Phi\left(\frac{\Phi^{-1}(p_i)+\sqrt{R_i}\Phi^{-1}(0.999)}{\sqrt{1-R_i}}\right)-p_i\right] \\
 R_i &= 0.12\frac{1-e^{-50p_i}}{1-e^{-50}}+0.24\left(1-\frac{1-e^{-50p_i}}{1-e^{-50}}\right)
\end{aligned}
\tag{1}
}

さて、式(1)で定義された信用リスク・アセットは、前回記事で説明した信用リスク量とはどのような関係にあるのだろうか。この関係を紐解くためには、与信ポートフォリオに対して次のような仮定を置く必要がある。

与信ポートフォリオに対する仮定
  • シングルファクターモデルである(N_F=1)。
  • EADは無限に分散している。つまり、任意の債務者のEADが与信ポートフォリオ全体のEADに占める割合は無視できるほどに小さい。

上記の仮定が成り立つ場合、近似的に

 \displaystyle{
\sum_{i=1}^N\mathrm{RA}_i\simeq\mathrm{UL}
\tag{2}
}

が成り立つ。つまり、信用リスク・アセットは与信ポートフォリオ全体のULを各エクスポージャーに配分したものであるといえる。なお、式(1)において重要なのは、信用リスク・アセットの額が対応するエクスポージャーに関する情報のみで計算できるという点である。与信ポートフォリオに含まれるその他のエクスポージャーの情報は必要ないのである。これは非自明な結果であり、一般にはULを各エクスポージャーに配分すると、配分されたULは対応するエクスポージャーのみならず全てのエクスポージャーに関する情報の関数となってしまう。このように、あるエクスポージャーに配分されたULがその他のエクスポージャーに関する情報にも影響を受けるという性質を「ポートフォリオ依存性」と呼ぶ。しかるに、式(1)による計算式ではポートフォリオ依存性は成り立たず、\mathrm{RA}_iエクスポージャーiに関する情報のみで計算できてしまう。このようにポートフォリオ依存性が成り立たないのは、「与信ポートフォリオに対する仮定」の賜物である。信用リスク・アセットの計算式にポートフォリオ依存性がないことは、ULという複雑な量を銀行が計算し易いように当局指定関数という形で規制に落とし込むうえで都合のよい条件であったと考えられる。

もう少し厳密な議論

 なお、上記の「与信ポートフォリオに対する仮定」はやや曖昧なステートメントであるため、ここではもう少し数学的に厳密な議論を行う。数学的厳密性にこだわりのない読者は読み飛ばしてもよい。「与信ポートフォリオに対する仮定」をもう少し厳密化すると、以下のようなステートメントとなる[2] *3

与信ポートフォリオに対する仮定(改) (A1) 共通ファクター数は1である。つまり、 N_F=1である。
(A2)  E_iは正数列であり、次の(a)および(b)を満たす。
(a) N\rightarrow\inftyのとき、 \sum_{i=1}^N E_i\rightarrow\infty
(b) ある正数 \zetaが存在して、 E_N/\sum_{i=1}^N E_i=O(N^{-(\zeta+1/2)})を満たす。

この「与信ポートフォリオに対する仮定(改)」が成立するとき、N\rightarrow\inftyに対して

 \displaystyle{
|\alpha_q(L_N)-\mathrm{E}[L_N\mid X_1=-\Phi^{-1}(q)]|\rightarrow 0
\tag{3}
}

を証明することができる[2]。式(3)は、仮定(A2)の下では「大数の法則」によって与信ポートフォリオの損失額はほぼ共通ファクターX_1のみで決まってしまうということを意味している。いま、

 \displaystyle{
\begin{aligned}
\mathrm{E}[L_N\mid X_1=-\Phi^{-1}(q)] &=\frac{1}{E}\sum_{i=1}^NE_iL_i\mathrm{E}\left[\mathbf{1}_{Z_i\leq \Phi^{-1}(p_i)}\mid X_1=-\Phi^{-1}(q)\right] \\
 &= \frac{1}{E}\sum_{i=1}^NE_iL_i\Phi\left(\frac{\Phi^{-1}(p_i)+\alpha_{s(i)1}\Phi^{-1}(q)}{\sqrt{1-\alpha_{s(i)1}^2}}\right)
\end{aligned}
\tag{4}
}

であるから、任意のエクスポージャーiに対して\alpha_{s(i)1}=\sqrt{R_i}であるとすれば、q=0.999のときに十分に大きなNに対して近似式

 \displaystyle{
\begin{aligned}
 \mathrm{UL} &= \mathrm{VaR}-\mathrm{EL} \\
 &= \alpha_q(L)-\mathrm{EL} \\
 &= E\alpha_q(L_N)-\mathrm{EL} \\
 &\simeq E_iL_i\left[\Phi\left(\frac{\Phi^{-1}(p_i)+\sqrt{R_i}\Phi^{-1}(0.999)}{\sqrt{1-R_i}}\right)-p_i\right]
\end{aligned}
\tag{5}
}

が得られる。この式(5)から式(2)が導かれる。(2020/9/2追記)なお、相関係数R_iを式(1)の2行目のようなPDの関数として表した根拠については参考文献[3]を参照されたい。

まとめ

 最後に、冒頭に記した本記事での注目ポイントに対する回答を以下にまとめておこう。

  • バーゼル規制の内部格付手法における信用リスク・アセットの計算式の意味
  • 信用リスク・アセットは、与信ポートフォリオ全体のULを各エクスポージャーに配分したものの近似式である。
  • 信用リスク・アセットの計算式を導く際のある「重要な条件」とは…
  • 共通ファクターが1つしかなく、与信ポートフォリオが無限分散しているという条件が必要である。
  • 内部格付手法の設計において「重要な条件」が必要であった理由
  • エクスポージャーの信用リスク・アセットがその他のエクスポージャーに関する情報に影響を受けることなく簡単な計算式で計算できる。

(2020/9/2削除)ところで、相関係数R_iを式(1)の2行目のようなPDの関数として表した根拠を記した文献を筆者は寡聞にして知らない。規制の策定に関わった金融当局者に聞かなければ分からないのであろうか?

参考文献

[1] 銀行法第十四条の二の規定に基づき、銀行がその保有する資産等に照らし自己資本の充実の状況が適当であるかどうかを判断するための基準(平成十八年金融庁告示第十九号)

[2] Gordy, Michael B., A Risk-Factor Model Foundation for Ratings-Based Bank Capital Rules (November 2002). Board of Governors of the Federal Reserve System Working Paper No. 2002-55, Available at SSRN: https://ssrn.com/abstract=361302 or http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.361302

[3] Basel Committee for Banking Supervision (2005), An Explanatory Note on the Basel II IRB Risk Weight Functions: https://www.bis.org/bcbs/irbriskweight.htm

*1:マチュリティの定義については、告示[1]の第百五十八条を参照のこと。

*2:実際には、式(1)の右辺には12.5という数値が掛かる。この12.5という数字は歴史的な理由によるものであるが、本稿の議論においては本質的ではないため省略する。

*3:実際にはいくつかの追加的な技術的条件が必要であるが、それらの追加的な条件については文献[2]を参照されたい。